アンタッチャブルの柴田英嗣の元奥さんと元ファンキーモンキーベイビーズのファンキー加藤が“W不倫”していることが発覚!名前の通りファンキーすぎるという声が多数ですが、柴田もとてもファンキーだった女性関係と元妻写真を紹介します!
<ファンキー加藤のファンキー具合>
ファンキー加藤さんとアンタッチャブル柴田さんは友人でした。友人なのに当時柴田さんの奥さんに声をかけたそうです。そのときは奥さんが既婚者だとは気づいてなくて声をかけたと言う言い訳をするファンキー加藤さんですが、そのときもうすでに自身も結婚一年の既婚者でした。その時点でアウトーー!柴田さんの友人なのに奥さんを知らないのというのも嘘くさいですね。
その不倫がきっかけで柴田さんと元妻は昨年5月に離婚が成立。その4ヶ月後の9月に元妻の妊娠が発覚したんだとか。これについてファンキー加藤さんは「柴田元妻に妊娠した。と告げられて、正直動揺した」と語っていました。友達の妻を略奪するとは!ファンキー!!名前の通りって、なんだか第二のゲス川谷って感じがしますね。
奥さんと友人から裏切られて可哀相な柴田さん。しかし柴田さんもファンキー加藤さんに負けないファンキーな女性関係経歴の持ち主だった?
<アンタ柴田の休養は不倫が原因?>
そもそも、最近アンタッチャブルとして相方の山崎さんと5年もの間共演していない柴田さん。一体なにが原因なんでしょうか。実は病気休養といいながら元カノと浮気をしたと発言していた柴田さん。そのときは相方の山崎さんも「なにしてんだよ!」と怒っていたそうです。
そんなとき実は柴田さんが「不倫相手を妊娠させてしまった」から警察沙汰になったという話が挙がりました。
不倫相手は元カノで、出演するテレビ番組で再会し不倫関係に発展。その元カノに妊娠させたのが奥さんにバレてしまい、離婚問題に発展。柴田夫妻と事務所が話し合い、問題が解決するまで休養することになったという。更に柴田さんはその元カノに脅迫めいたメールを送り、警察沙汰に発展。「柴田は元カノに1日30回近く脅迫めいたメールを送ったようで、元カノは警察に『殺されかけた』などと相談したが、被害届はまだ出していない」このような状況では、元カノが被害届を出せば刑事事件に発展します。そんな状況に事務所は柴田さんに半年間の謹慎処分を下したそうです。
しかし、2010年02月16日「リアルライブ」で、新事実が発覚しました。実は被害女性による自作自演であったことがバレて、柴田さんも逮捕されるまでには至りませんでした。しかし事件性が高く事務所も巻き込んだ大規模な騒ぎのせいか、結局この一件が引き金となって2年間もの間”無期限休養”になってしまいました。浮気したせいでつけこまれて散々な事件に発展してしまいましたね。
<アンタ柴田が元妻にしたファンキーな行動>
2005年、柴田さんには女性が17歳の頃から付き合っていた彼女がいました。その同棲していた彼女が元妻だったのですが当時妊娠をしていたようです。しかし妊娠が発覚すると柴田さんは最近の自分達はケンカばかりで結婚はできないという主張をし、堕胎を指示。そして堕胎した後、さすがに柴田さんは彼女のことを気遣って優しく接していたそうです。すると徐々に二人の仲は修復され、そろそろ入籍しようというところまできていたそうです。
上は元嫁との画像
そのとき、彼女は再度妊娠。柴田は結婚しようと彼女に言い、彼女も喜んでいました。しかし、どういうわけかその後は、柴田は返事をはぐらかすばかりで、結婚話は全く出てこなくなったそうです。予定では結婚を前提に広い部屋に引っ越すことになっていたのに、直前になって、柴田が「やっぱり結婚は出来ない」彼女は子供を身ごもっているのに連絡をとらなくなり、弁護士が間に入り、養育費や慰謝料について話をすることになったそうです。
しかし、こうして別れることになるかと思いきや、「おめでた婚」を発表。しかし平穏は長くは続かず2年後の2007年には同女性との離婚問題で週刊誌に報道されました。そのときに元妻がインタビューに答えていました。そこで驚きの事実が!
―別居されてますよね?
「結婚当初から、一緒に住んでないです。子供と2人で生活しています。生活費は、柴田さんから毎月入れてもらってますけど…」
―柴田さんと連絡は?
「ええ、うん、まぁ、月に1度くらいは電話で話したり…。たまに子供を見に来たりはします。会う頻度は特に決まってないです」
―そのときの会話から、今回の発言につながるような前兆はなかった? 「いや特に…。突然です。なぜ、そんなことをいわれるのか…。普通に生活していたんです。いつもどおり。ごくたまに会う。という」
「週刊女性」2015年3月6日号より
なんと最初から住んでいなかったんですね。子育ても全くせず、結婚生活としてはかなり異質です。ちなみにこのインタビューがファンキー加藤さんとの浮気が発覚したときの出来事だと思われます。その後5月に離婚となりました。